coro1912の日記

60間近にして主婦失格の烙印・主婦卒業したは良しとして、生活するために働かなくてはいけない。回りは30代前後の人ばかりの職場での老婆の独り言です

手芸④

  

手芸習慣の締めくくりです。

なんてことはない巾着袋。

マチつきバックの裏地の残りで3辺縫っただけのもの。

 

なんのために、何に使うの?

 

アイロン袋用です。

 

 

今までアイロンを片づけるときは買ったときの箱に入れていた。

幅が片手で持てないのよ。

片手にアイロン、片手にアイロン台と持ちたいのよ。

でもアイロン自体がコードレスなので片手では持てない。

そこでせっかく引っ張りだしたミシンだもの。

ついでに巾着袋を縫ってしまった。

 

これで縫物は終わり、ミシンを片づけた。

今度は何を作ろうかな。

 

その前に、まず部屋を片づけよう。

 

 

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手芸③

 

またまた生地の段ボールをガサゴソとあさりはじめた。

大島紬という未使用の反物が出てきた。

これでサブバックがたくさん作れる。

ほしいという人がもしいたらいつでも作れるよと思った。

とりあえずは見本を作ろうと思った。

必要分切り、一応洗ってみた。

水が真っ黒なのよ。

洗っても洗っても水がきれいにならない上に、生地の端がボロボロになってきた。

これでは作ったとしても、色落ちが心配。

処分しよう。

これからは何か作るときはまず洗ってから手間暇かかるか試してからにしよう。

 

今回はかくれマチ付きバックに挑戦した。

生地は前回の大島の端切れと、右のグレーっぽいものは琉球絣となっていた。

どちらも洗ってもそんなに色落ちしなかったので材料としてはよしとした。

 

 

裏地は布団生地。

昔布団製造工場が近くにあり、販売会の時に行ってことがある。

そこで布団制作中の不良が出た生地が300円くらいで販売されていた。

(多分こたつ布団)

材料としてはたっぷりあり、生地としては使えるのでいくつか買ってあったものが出てきた。

表側は使う当てがなかったので処分したと思う。

 

材料としては使いやすいので今回使うことにした。

やっと陽の目を見たね。

十数年押し入れで眠っていたからね。

 

先日作ったマチなしと今回のマチ付きのサブバック。

どちらも作り方がわかったので姉に批評してもらおう。

使うのがもったいないという姉だが、使わなければもっともったいない。

でも押し売りは嫌なので、もし使い道があればもらってほしいな。

以前読んだ雑誌で、手づくりのものを上げるときはプロ級のものとあった。

私の物は中学生レベル。

欲しかったらもらって頂戴と思っている。

 

 

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手芸②

ハロワようにサブバックを作った。

ここに来てからはリュックにしている。

なるべく歩こうと思っているからだ。

リュックだと歩く時はいいけれど、書類等の出し入れが不便なのよ。

そこでA4のクリアファイル等がはいるサブバックを作った。

 

記事は大島紬の端切れ。

裏地は昭和時代の大判風呂敷。

昔は綿の風呂敷が多かったのよね。

それがなぜか記事の段ボールに入っていた。

内ポケットをつけて出来上がり。

これ持ってハロワに行こう。

仕事見つかるといいな。

 

大島などもったいないという人もいるけれど、何も使わずしまっておくのはさらにもったいない。

押し入れに眠っていた端切れを、本来は簡単な服にしようかなと思っていたけど、いつになることかわからないので、目についたものはどんどん使っていこと思う。

 

私の手芸はただ好きというだけだ。

レベルは中学校で習った家庭科並み。

それでもいいじゃない、作るのに時間がかかっても、作ったものは使ってあげましょう。

 

 

 

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手芸①

最近始めたもの。

といっても昔少しやってたのですが、その後しまったままだった。

引越しの時、押し入れから引っ張り出したら出てくるわ出てくるわ。

半分くらいの糸を処分した。

 

そういう中でもってきた糸で、チョー・・・・久しぶりに織物をした。

今回は卓上織に挑戦。

草木染の糸のキットがあったのでマフラーを織った。

150cmと100cmの2本(房部分除く)

コットンなのでこれから使えるかな。

 

 

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シクラメン


以前はシクラメンなど買わなかった。

花が終わったあと、翌年に咲かせることはできなかったから。

 

最近考えを変えた。

この花はコスパのいい花だなと思う。

普通、植物の開花している期間は1週間くらいだと思う。

しかしこの花は3か月はもつよね。

 

このシクラメンも、年末に八百屋さんで売られていて衝動買いしたもの。

通常の花のものは1000円。

でもこの花は花弁が小さく珍しい。

しかも500円也!

大根と一緒に買ってしまったもの。

大根はすでに食べてないけれど、この花はまだ咲いている。

思い出した頃に水やりしているだけ。

手間もかからず一冬部屋を飾ってくれる花。

夏越し出来なくてもいいやと思っている。

 

 

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前向きに進む前に(自分?子供?)

育てたように育つというけれど・・・

 

何かあったら世話になるからよろしくというつもりでした。

でも何か寂しさがつのります。

子供たちのことです。

子供たちが家を離れてから、何のために頑張るのか、そこに襲った震災。

息子たちが実家から離れていてよかった、その点では原発の不安からは解放された。

でも自分は・・・

50過ぎていてよかったと思うけど、何の心配もなかったわけではない。

しかし、事故のあった地から離れていては不安だというわけにはいかない。

事故のあった地の人たちは大変だとは思うけれど、それを声に出せるだけいいなと感じていた不届き者です。

その不安から逃れようとサークルに逃げていました。

本当は旦那によりそってほしかった。

空元気でもいいから自分たちは大丈夫だと言ってほしかった。

どうせ放射能の被害が出て来ても寿命だから・・・と。

でも旦那は違った。

気にしているという・・・

隣からいただいたタラの芽による話から家庭内別居が始まった。

それは次男が就職により帰って来ても続いた。

このままではまずいと思い、次男が職について3年が経った時に私は家を出た。

それが次男にはどう写ったのだろうか。

 

「お母さんこのうち出るから」と言った時次男は

「うん」と言ったままスマホを見ていた。

 

それから隣の市に移って7年、次男は一度も母の家に来たことはなかった。

一度車のタイヤを取りに来たことはあったけれど、家に上がったことはない。

 

長男はその時は関東に住んでいた。

正月に帰省するけれど、母の家に来たことは1度だけ。

その間にコロナがあり、帰省できなかった期間もあるけれど・・・

 

旦那の家(子供たちの実家)と近くにあるからいけない。
別の所にあればと思い、長男の職場の近くに引っ越して来た。

子供たちの故郷とは県を離れた。

私に取って〇島県はあまりいい思い出はない。

だからさっさと引っ越しをしてきた。

 

でもね。

〇島を離れると次男にメールしても、既読はつくけど返事はない。

それまでも何度かメールしているけれど返事はなかった。

引っ越してきても長男は一度も来たことはない。

 

正月には長男・次男共〇島に帰省しているのよ。

彼らに取っては実家だから、故郷だから当たり前なのよね。

あなたたちにとっての父親とは毎年会っているよね。

母親とはどうでもいいことなの?

 

あなたたちに取って母は何なの。

ここに来いとは言ってないけど。

年明けのメールくらいしてもいいのでは?

元気?という言葉の一つくらいほしいよ。

 

好き勝手に生きている母だけど、私にだって言いたいことはあるのよ。

子供たちの話は聞きたいのよ。

甥たちの年賀状より、子供たちの一言がほしいのよ。

顔が見たいのよ。

愚痴でもなんでもいいから、馬鹿な話が聞きたいよ。

 

だけど・・・

 

子供たちはこない、メールもこない。

 

私って何しているのだろうね。

きっと家を出たことを怒っているのか・・・

 

馬鹿な親だよね。

多分息子たちは、老後に勝手にうちを出た母を見放しているのかな。

悪者と思っているのかな?

 

この地に引っ越してきて2か月。

春はそこに来ているけれど、何もすることがない毎日。

甥たちの親孝行ぶり(親との連絡)を聞くにつけ、ますさみしさが増してくるよね。

 

あの子たちにとって母親とは何だろう。

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前向きに進む前に(職場)

5年近く私は何して来たのだろう。

60才の私を拾ってくれた、感謝すべき職場と思っていたけれど、所詮どうでもいい職場だったのかな。

 

前々職は15年務めた。

私にとっては長い職場だった。

非正規ではあったけれど、ここの職場のおかげで子供たちを大学まで行かせた。

親の万が一の時の対処ができた。

 

でも辞めた。

仕事が忙しい時、時間外手当もない。

正規は時間外がつくのに非正規は出ない。(組合の取り決め)

それでも仕方なかった、仕事があるからね。

 

私の仕事がなくなった。

いづらくなり仕事を辞めた。

 

その次にいったところが福祉関係。

グループホーム世話人という職。

事務所と会わなくて辞めた。

何かと私のやることに突っかかってくる事務所の人。

私に言う分、他の世話人さんに言っているのかと言いたくなった。

また、仕事のやり方の指導はないのに、時間オーバーしても時間手当もなく、サービス残業となっていた。

やってられなくなり退職。

 

それで探したのが全〇連。

引継ぎもなく仕事始めたけれど、60の私を雇ってくれたと感謝していた。

その当時は・・・

 

事務職として感じたことは、なんと昭和の職場なんだろう。

それになんと、正規と非正規の差があるのだろう。

差別と感じた職場。

 

管理職の人の異動がきまったの。

1か月ほとんど仕事しなく、次の職場の住居さがしていたの。

そんな時間があったら、私への引継ぎをしっかりしてよと言いたかった。

その管理職のミスを訂正するのに時間がかかった。

そんなことは誰も気にしないけどさ、

 

今までいい加減なところが多い職場。

いろいろ言われながらも、なんとかこなしてきたつもり。

 

なのに・・・

 

やることやらないのに、言うことばかりいう。

 

と言うことを言われてしまった。

 

〇〇さんとは話すのに・・・・と

 

上司から言われてしまった。

 

からしてみれば、最近の管職はね、若い子には何も言えないのよ。

すぐにコンプラがどうとか言われるから。

 

私だって非正規だから若い正規の人には何も言いません。

でも管理職にはいいます。

それを若い子が聞いて萎縮しているというのよ。

 

だったらあなたたちが指導しなさいよ。

若い子たちはこれからの宝なのよ。

 

そのうえ、〇〇さんとは親しく話していると言われた。

建設的な意見なら話してもいいと言われた、

 

こんな宿場てなんなのよ。

怖い職場だ。

 

本来なら管理職に話すことを私に話していただけてない。

 

管理職も若い子は辞めさせたくない。

60才過ぎた私は辞めさせたかったのだろう。

 

そう思えるところ

  1. 雇用契約書がわたされない

 年契約の身なのに、今年度はもらってないと言っても渡されなかった

  1. 非正規には責任がなくていいなんて言いながら、非正規の質問に答えられない

 私がなぜ非正規のままなのか。

 業務量は増えてもどこからも支援もない。

 なのに、現場の人は仕事が終われば勤務時間中でも休憩時間となる。

 こういう中、私がなぜ非正規のままなのか質問するも答えがない。

管理職というのは、たとえこじつけにしても、従業員の質問に対しては答えるものだと思う。

それがなんの回答もなかった。

私には責任がなくていいと言いながら、正規職員というのは責任が伴う仕事と言っていたのに。

 

管理職の帰任とは何?

 

従業員の質問一つに答えられない管理職。

それが責任ある職員の姿なのか。

 

私は問いたい。

 

退職願いを出しても何も聞かれなかったし、何も言われなかった。

「いつまで出勤するの」と聞かれただけだった。

そんなに辞めさせたかったのかと感じた。

 

こんなことは初めてだった。

退職願いを出すと、形だけでも理由を聞くよね。

言いたいことごまんと用意していたのに・・・

若い子の退職には気を使うけど、60過ぎたばあさんは待ってましたなのかよ。

 

私のどこがまずいのだろう。

自分では、雇ってもらえるだけでありがたいことなのだから、自分の出来る範囲で恩返ししなくてはと思っていたのに。

 

 

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